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ヨハネスブルグ―アパルトヘイト博物館

ヘクター・ピーターソン博物館のあとは、一旦ホテルへ戻り、各自昼食。

私とAL君はホテルの近くのアフリカ料理のお店に行きました。ここがなかなかよかったです。生演奏をやっていて、雰囲気もよく、私はイカを頼んだのですが、プリップリでアフリカのピリ辛スパイスがきいていてとても美味。AL君のお肉も柔らかくおいしかったです。
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そして午後は”アパルトヘイト博物館”へ。
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私たちが行ったときは、たままた”ネルソン・マンデラ”の特別展も開催中でした。
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彼の生い立ちから、時系列に沿って展示されており、とても見ごたえがありました。
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私は常設展からゆっくりと見学し、最後にマンデラ展を観たのですが、とにかく展示数が多く、2時間ほどかけたのですが、最後は巻きを入れないと見切れませんでした。

ここの博物館でチケットを買うと、チケットの裏に”白人” ”白人以外”と書かれています。
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そして博物館の入り口に入ると。。。

”白人”用と”白人以外”用の入り口に分かれていました。
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私のチケットは”白人以外”と書かれていたので、そちらの入り口から入りました。

AL君は”白人”用と書かれたチケットなので、私たちは別々の入り口から博物館に入りました。

アパルトヘイトの頃は、公衆トイレはもちろん、レストラン、ホテル、バス、公演、映画館、ベンチ、海水浴場など、いろいろな場所が、白人用、白人以外と分かれていました。(アメリカの南部も昔はそうでしたが)

Apartheid 1Apartheid 2

それを頭では知っていましたが、こうして別々にわけられた入り口に入る時、その人たちの気持ちを感じることができる仕組みになっていました。(入り口の最初の部分だけ別々で、中に入ると一緒になります)

アパルトヘイトは人種隔離政策のこと。

白人が入植しはじめ17世紀ころから原住民と入植者の確執はありましたが、1913年の原住民土地法でアパルトヘイトという言葉が登場し。1948年に国民党が居住地区条例を確立した1948年以降から、アパルトヘイトという言葉が広く使われることになりました。

アパルトヘイトでは、人種を4通りに分けました。

白人: イギリス系とアフリカーナ―(オランダ系を中心とするアフリカーンス語を話す人たち)
カラード: 白人と先住民族の混血を中心にしたグループ。インドネシアや、マレーから奴隷として連れられてきた住民との混血も含まれる。
アジア人: インドやマレー系の住民。(奴隷として連れてこられた人たち)
黒人: 先住民族

このように人種が隔離され、住居の隔離、仕事や教育の差別、人種間を超えた結婚の禁止、異なる人種の異性が恋愛関係になるだけでも罰せられる法が施行されていました。

また”パス法”により、黒人は身分証明書の携帯を義務付けされていました。ポリスがパスの提示を求めた時、パスを持たないものは不法移民とされ、逮捕されました。(自国にいながらパスポートの携帯を義務ずけられているようなものです)

アパルトヘイトは、1994年ネルソン・マンデラが大統領になり、撤廃されました。

ということは、つい21年前までの話です。

展示の中には、生々しい映像もあり、つい最近まで起こっていた出来事である、ということを証明していました。

ところで、私のガイドさんが私が日本人ということもあり、アパルトヘイトの時代の日本人について、説明してくれました。

日本企業は早くから南アフリカに進出して南アフリカの経済に貢献していたため、経済上の理由から、日本人は”名誉白人”扱いされていたそうです。確かに南アフリカでは、トヨタ、日産、ホンダといった日本車をたくさん見かけました。

とは言うものの、だからと言って、道を歩いているときに、この人は日本人、この人は他の国から来たアジア人、という区別がつくわけでもなく、この時代、生きづらかったのは確かなようです。

アパルトヘイト博物館を出た後は、私たちのツアーリーダーがヨハネスブルグ出身だということもあり、ドライバーさんに頼んでヨハネスブルグのシ―ニックドライブをしてくれました。

黒人の人たちが多く住む”Hillbrow”。かつては白人が住むエリアで、ツアーリーダーの方もこの地域に昔は住んでいたのだそうです。が、時が経つにつれて、黒人の方が移り住み始め、いまでは黒人の方が住むエリアに変わっていったのだそうです。
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Hillbrowは普通観光ではまず行かない場所(危険ゾーン)らしいです。

ちょっと見た目には、昔のハーレムみたい。
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マンハッタンのハーレムも、かつては白人エリアだったのが黒人エリアに変わり、今はいろんな国籍の人たちが住む地域へと変貌しています。
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でもHillbrowをちょっと行くと、英国調の立派な学校があり、その先は大きなマンションが立ち並ぶ、お金持ちエリアでした。

マンハッタンでも高級住宅地のアッパーイーストの先は、マンハッタンで危険とされるイーストハーレムがあるので、似たような感じです。

この高級住宅地の一角に、ネルソン・マンデラが晩年住んでいた家がありました。
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こちらには、3番目の奥さんが今も住まわれているそうです。
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ツアーリーダーの方の話だと、マンデラ氏はとても気さくな方で、生前、ツアーグループをここに連れてきたとき、一度だけマンデラ氏がこのバルコニーに立っているのが見えたそうです。

その時彼はバスを見て、手を振ってくれたそうです。


。。。この日の観光は一日重たい内容ではありましたが、キレイな側面だけをなぞるツアーでなく、この国が通ってきた歴史や現在も抱えている問題もひっくるめて見せてくれるツアー内容で、この国の表面をさっとなぞっただけではありますが、知らなかったこと、もっと知りたいことが増え、個人的にはこのツアーに参加してよかったと感じました。

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